情報誌「TOMIC(とおみっく)」

特別号 2015年10月発行(2/4)

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TOMIC 特別号 江戸時代に学ぶ循環型社会のあり方

江戸時代の動力源は太陽エネルギー

江戸時代は太陽エネルギーだけで暮らしていた時代で、たいへんエネルギー効率が高い社会を実現していました。

例えば江戸時代の最大の動力源は人力、つまり人間です。物を運ぶのも、作物を作るのも、商品を製造するのも、すべて人間が自らの力を使って行っていました。では、その人間は何で動いているのかというと、昨年あたりにできた米や作物を食べて生きている。つまり、ここ1年ぐらいの太陽エネルギーで動いているわけです。

人間が食べている米や作物を育てるには太陽の日差しと雨が必要ですが、雨もまた太陽エネルギーによって生み出されます。雨は太陽熱で蒸発した水分が雲となり、冷えて再び地上に落ちたものです。太陽エネルギーが地球上の水を循環させているのです。加えて、作物を食べた人間の排泄物は田畑の肥やしになり、食べ物を作る環境は見事に連鎖していました。

江戸時代には植物を徹底して再利用するシステムもできあがっていました。衣食住に必要なものは、ほとんどすべて植物でできていました。米を収穫した後に残る藁は、編み笠や草履といった日用品、米を運ぶための俵や藁葺き屋根の材料になりました。里山にたくさんあった竹は、桶や物干し竿といった日用品から、建築材料や現代でいうパイプの代用品として幅広く利用されていました。

植物でできている品物は、かまどで燃料として燃やしてしまえばいいのですから、廃棄するのも簡単です。使い古した植物製品は煮炊きのための燃料となり、かまどに残った灰は肥料として活用することができました。この肥料は次の植物を育てるのにも役立ちます。このように江戸時代は太陽エネルギーだけで生活する高度な循環型社会ができあがっていました。

水車もまた太陽エネルギーが動かしている

現代社会でエネルギー源の主流となっている石油や石炭などの化石燃料も、実際には太陽エネルギーがつくりだしたものです。しかし、こちらは何千年、何億年という気の遠くなるような長い時間をかけてできたものです。江戸時代の生活は、ここ1〜2年の太陽エネルギーで成り立っていたのに対し、現代社会は長い時間をかけて蓄積した化石エネルギーをほんの数十年で消費しています。

江戸時代に、他のエネルギー源がまったくなかったわけではありません。越後(現在の新潟)には天然ガスが自噴している場所があり、エネルギー源として利用されていただけでなく観光名所にもなっていました。北九州など一部の地域では、品質は良くなかったようですが、石炭も使われていました。

このほか江戸時代の重要な動力源として水車があります。初期はテコの原理を応用した「ばったり」という素朴な水力装置だったものが、次第に工夫を重ねて大掛かりな水車となっていきました。井堤(いで)の玉川の水車を描いた絵がありますが、直径4メートルもある水輪1台で、14個の臼で米をつき、菜種油をとるためのふるいを回し、石臼でひき割る作業を同時にこなしていました。蒸気機関も電気モーターもなかった時代に、強力な回転動力を生み出す水車は貴重な動力源でした。

この水車もまた、太陽エネルギーが動かしていることは前述した通りです。太陽熱で蒸発した海の水が雨となり、地上に降り注いで川となり、水車を回した後はまた海に還っていきます。江戸時代の太陽エネルギーの利用方法は環境や生態系への負荷が非常に少ないことから、この時代に絶滅した動植物はほとんどないと言われています。

 

江戸東京博物館の展示物より

 
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