情報誌「TOMIC(とおみっく)」

特別号 2015年10月発行(4/4)

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TOMIC 特別号 江戸時代に学ぶ循環型社会のあり方

江戸時代は貧しく不便な時代だったのか?

太陽エネルギーだけで暮らしていた江戸時代の話をすると、「貧しかったから循環型社会を実現できたのではないか」「満足にものがなくて不便だったのではないか」と考える人がいます。これは大きな間違いです。

そもそも貧しい国では循環型社会がうまくいくはずがありません。例えば砂漠の貧しい国では、生活のために数少ない木を切り倒してしまうことで、さらに砂漠化が進んで貧しくなるという悪循環を生んでいます。貧しい国は循環型社会でもなければ、エネルギー創造型の社会でもありません。

また、国民の文化度が高くないと循環型社会を実現することはできません。例えば江戸後期の日本は世界一の識字率を誇っていました。庶民の多くが文字を読めたため貸本屋が成り立ち、遊廓などにも貸本屋が出入りし、様々な場所で高等教育が受けられました。手習い(寺子屋)に通う女子も多く、手習いの師匠には女性も多くいました。

現代人が思うような貧富の差もそれほどなかったと考えられています。一般庶民は、せいぜい行灯の油に菜種油を使うか、魚油を使うかぐらいの格差でした。

現代社会と比べるとものは少なく、不便だったかもしれませんが、その代わり時間はいっぱいあり、仕事一辺倒ではなく、余暇を楽しむ余裕がありました。その結果、俳句など現代に伝わる江戸文化が盛んになっていきました。

現代の先進国は努力をして循環型社会を生み出そうとしていますが、江戸時代は徳川幕府の統治によって300年にわたる平和な時代が築かれ、国民の高い文化性によって自然と循環型社会が生まれていたのです。

 

未来のために江戸文化に学ぶ姿勢を持つ

私は江戸時代の研究をしているからといって、江戸時代に戻ろうと考えているわけではありません。現代社会の生活はとても便利で快適です。このままの生活が続けられるのならずっと続けたいと思っていますが、石油や石炭などの化石燃料を大量に消費する社会が、果たしてこのままずっと続けられるのでしょうか。

私は2年前まで東京郊外の森のような300坪の敷地に住んでいました。竹林ではタケノコがとれ、柿の木には毎年たくさんの実がつき、畑では野菜を作っていました。虫も鳥もたくさんいて、四季折々の自然がありました。事情があってこの家を出て、今は駅前のタワーマンションの17階に住んでいます。

マンションでの生活は非常に快適ですが、窓を開け放しても、ハエ1匹、蚊1匹入ってきません。カラスは10階ぐらい、ハトは4階ぐらいの高さを飛ぶので、鳥も見えません。雨が降っているかどうかも分からないので、望遠鏡で地面を見て、道行く人が傘をさしているかどうかを確かめています。

このマンションには子どものいる家庭が多いのですが、子どもたちは日が差さないカーペット敷きのロビーでままごとをして遊んでいます。たき火をしたり、マッチを擦ったりといった経験をしたことがない子どもたちが大きくなり、エネルギーを充分に使えないときがきたら、一体どうなるのだろうかという危機感を持っています。

私にしても、このマンションで停電が起こったら大変です。断水し、エレベーターが止まって17階から地上に降りることすら難しくなります。これは、いかに現代社会がエネルギーに支えられているかという証明であり、私たちは電力がないと生活できません。

人間は体験していないこと、知識として持っていないことは、いざというときに活用できません。我々日本人には江戸時代に高度な循環型社会を実現していた文化や習慣があり、それはつい最近の昭和の時代まで受け継がれていました。今も見えないところで受け継がれていると思います。

今のままの生活がずっと続けばこれほど結構なことはありませんが、このままではいずれ行き詰まるときが来るのではないでしょうか。そのときに参考になるのが江戸時代の日本人の暮らしぶりだと思います。江戸の庶民が実現していた生態系を大切にした循環型社会の意義を再認識し、ものごとが有限であることを前提とした地球環境を汚さない生き方を、大人たちは次の世代に伝えていく責任があると考えています。※掲載している絵図は、石川英輔様の所蔵より

 
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