情報誌「TOMIC(とおみっく)」

69号 2024年2月発行(1/5)

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TOMIC第69号 日本のエネルギー安全保証のために考えるべきこと〜第1次オイルショックから50年を契機に〜

一般財団法人 日本エネルギー経済研究所
資源・燃料・エネルギー安全保障ユニット担任
国際情勢分析第一グループ マネージャー研究理事
久谷 一郎
(くたに いちろう)

1995年、早稲田大学大学院理工学研究科機械工学専攻修了。同年、日本鋼管株式会社(現 JFEエンジニアリング株式会社)入社。2007年、日本エネルギー経済研究所入所。専門分野はエネルギー安全保障政策、アジアを中心とした地域情勢など。共著に「国際エネルギー情勢と日本」(2015年)ほか。

日本はエネルギーを大量に消費する国でありながら、エネルギー資源のほとんどを海外からの輸入に頼っているため国際情勢の影響を受けやすく、かつては、1970年代の二度にわたるオイルショックのような社会的混乱を招くことがありました。今回、エネルギーの安全保障に詳しい日本エネルギー経済研究所の久谷一朗氏に、エネルギーをめぐる日本と世界の現状、また今後どのような対策を考えていかねばならないかについてお聞きしました。

危機意識がもたらした日本のエネルギー構造の変化

1973年に起こった第1次オイルショックは、第4次中東戦争が引き金です。中東の産油国がアメリカなど親イスラエル国への原油輸出を止め、また原油価格を引き上げたため、日本でも原油の輸入が止まるかもしれないという不安感が広がりました。79年の第2次オイルショックは、イラン革命以降にイランや中東産油国が原油の生産を減らしたことが原因です。ただし、オイルショックで実際に日本の原油の輸入がストップしたわけではありません。製造過程で石油を使う紙製品などの買い占め騒動が起こったのも、どちらかといえば心理的な要因が強く働き、危機意識が社会の混乱を招いたといえます。

こうした危機意識が、その後の日本のエネルギーにさまざまな影響を及ぼします。エネルギーの8割近くを中東の石油に依存していた状態から、脱石油・脱中東の動きが強まり、エネルギー源の多様化や原油輸入先の多角化が進みました。さらに省エネや再生可能エネルギー(以下、再エネ)など、エネルギーに関する多様な研究開発が行われるようになります。具体的には、ヒートポンプなどエネルギーの効率的利用を目指したムーンライト計画、太陽光発電など再エネの研究開発を行なったサンシャイン計画などがあります。

こうした取り組みは、現在まで続く日本のエネルギーのあり方の基盤となりました。多様なエネルギー源・輸入先を組み合わせる考え方もそうですし、産業部門で大きく進んだ省エネ技術は世界に誇れるものです。今や世界中で利用されているLNGも、世界で初めて本格的に導入したのは日本です。日本がLNGのマーケットをつくったと言っても過言ではありません。日本のエネルギー基盤は危機を経験したことでより強靭なものへ変わることができたのです。

日本の実質GDPとエネルギー効率の推移

 
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